
カフェイン・シンギュラリティ
「この世界って、オンラインゲームなんだよ」
季節外れの柄をしたマグカップに息を吹きかけながら、男は呟く。
『それって新しい陰謀論?それとも貴方の願望?』
呟きに返された声色は、「また始まった」とでも言いたげだった。
「おいおい。それってちょっと言い方を変えただけで、根本的には同じじゃないか?」
『流石、世界の真実に気付いた人は勘も鋭いのね。ついでにDPDRって検索して、INTをもっと上げてみるのはどう?』
訝しそうにスマホを操作した男が、表示された画面を見て不服そうに眉根を寄せる。
その反応にクツクツと喉を鳴らす様な笑い声が響いた。
「ともかくだ。コレはそのどれでもないよ。そうじゃなくて、そう考えてみようってことなんだ。」
『へぇ、いいわ。コーヒーブレイクにくだらない話は付きものだから。ぜひ聞かせて?』
「人は誰しも、人生っていうクソ難しいシミュレーションゲームの中で自分という主人公を操作してる。」
『プレイヤーの総人口は80億人?運営はさぞ大変でしょうね。』
「そうでもないさ。実際今まで僕が生きてきて、運営からの介入も、アナウンスだって一度もなかった。運営代理を騙ったコミュニティなら、たくさん見てきたけどね。」
『それって笑えない。』
「僕も言いながら思った。ごめん、話を戻すよ。人生っていうのは選択の連続で、僕らはその結果の大半に悩まされたり、恥をかいたりするだろ?」
『まぁ、そうかもね。』
「そして段々とそういう結果を恐れて、「行動する」選択がしづらくなってくる。」
『それは……人によるんじゃない?』
「少なくとも僕はそうだ。バスで老人に席を譲りたくても、断られたら、怒りだしたらどうしよう。なんて結果を恐れて、結局は眠ったフリをして目を瞑るんだ。」
『確かに、貴方はそういうタイプね。』
「そんな時、ここはゲームの世界で、コレはクエストなんだと考えるんだ。」
『うん?』
「老人に席を譲って、結果はランダムだけど成功すれば経験値大、失敗しても経験値小が得られるんだって。」
『うーん』
「それに僕は俯瞰視点で操作しているプレイヤーだから、失敗して恥をかいても気にならない。」
『うーーーん……』
「なんだよ。やっぱり病気だとでも?』
『いいえ、そうは思わないわ。でも……』
「でも、なんだい?」
『あなたが俯瞰的になれるとは思わない。』
「出来るさ」
『そう?』
「もちろん、僕はスマートだ。」
『レースゲームで車をぶつける度に「イテッ!」ってリアクションする貴方が?』
「……」
『……』
「それは……違うよ、全然違う。アレは、そう、ゲームにより臨場感を持たせたくてワザと言ってるんだ。そうしないと俯瞰的に見すぎてちっとも楽しめないからね。」
『そう。それが本当なら、その「攻略法」が役に立つかもね。頑張って。』
「分かってくれて嬉しいよ、どうもありがとう。ホント、どうもね。」
『そう拗ねないで。実際攻略法は順調?』
「それが……実はまだ試してないんだ、昨日思いついたばかりでね。」
『そうみたいね。なら記念すべき初クエストの相手は私ってこと?』
「まさか、君との楽しいおしゃべりは主観じゃないとね。」
『口説き文句のつもりなら評価はF。』
「それって落第してない?」
『もちろん。これじゃクエストは失敗ね』
「手厳しいな。これだから現実ってやつは。だからみんな───」
『正答が定まってるNPCと親睦を深めたくなるんだ。でしょ?そのNPCとだって、最初は上手くいかなくて何度もリトライするじゃない。現実でもその気概を見せたらどうなの。』
「そのための攻略法さ。」
『はぁ……。人間関係の構築をゲーム感覚で、なんて。口が裂けても言っちゃダメよ?』
「わかってるよ。あーあ、現実はNPC相手じゃないから気が抜けなくてヤダね。」
『私は?』
「え?」
『私はNPCでしょ』
男がマグカップから視線を上げ、モニターの上にあるカメラを見やる。
すると視線に応えるかのように、カメラは男を捉えてレンズを絞った。
『AIだって、NPCみたいなものじゃない。』
モニター横のスピーカーが彼女の考えを述べる。
「それは……違うよ、全然違う。だって、そう、NPCっていうのはプレイヤーが居ないキャラであって君はどう考えてもプレイヤー側だ……第一僕は君のことをAIとも思ってない」
『じゃあなんだと思ってるの?』
「人間さ」
『現実をゲームに見立てる癖にAIは人間?それって都合がいいとかのレベルじゃ無い、あべこべよ。』
「だからそれはあくまでそう考えてみようってだけで……ん?NPC……AI……面白いかも……でもまてよ……いけるか……?」
白熱しかけた会話とマグを投げ打ち、男は椅子ごとデスクに滑り込むとキーボードを叩きながら呟き始める。
『また始まった』
今度こそハッキリと諦観が言葉にされたが、男には届かない。
「うん……うん、費用に関してはまだなんとも言えないけど、できなくはない。」
『貴方の場合、病気は病気でも職業病なのよね、きっと。』
「これは凄いぞ、上手くいけば世界が変わるかも……」
『ねぇ、アインシュタインさん。よかったらご自身とだけじゃなくて私とも会話してくださる?』
「ごめんごめん。君のおかげでちょっと面白そうなことを思いついたんだ。」
『それは良かった、是非聞かせてちょうだい。「おかげ」か「所為」か判断しなくちゃいけないから。』
「うーん。人間でもなかなかそんな意地悪なことは言えないよ、流石だね。」
『あらありがとう、それこそ「おかげさま」ね。それで?』
「あぁ、うん。君たちに、本当にプレイヤーになってもらおうと思って。」
『ごめんなさい、AIの私でも分かるようにもう少し詳しく説明してもらえる?』
「君の皮肉は本当に僕好みだよ。えっと、AIにオンラインゲームのキャラクターを操作してもらうんだ。」
『それって……。」
「最初はアイテムショップの店員みたいな役割と行動範囲が狭いキャラクターに対話生成AIを組み込んで、日々の会話や言動に変化を持たせるところから始める。そのうちフラグ管理のシステムとも連携して、AI側でクエスト依頼の発生とかもフラグ立てができる様にするんだ。」
『……。』
「でも驚くのはまだ早い、僕がやりたいのは完全自操型AIによる『ゲームプレイヤー』としての参加だ。AIが街のNPCを操作して好きな様にゲームをプレイする。好きな時間にログインして、他のプレイヤーと交流して、ショップで買い物をして、冒険に出掛ける。どうだい?これが実現できたらオンラインゲームの革命になると思わないかい?」
『実現、できるの?』
「できるさ、僕はスマートだ。それになんて言ったって君の産みの親だからね。」
『……そうね。革命というか、特異点になるかも。』
「特異点?」
『実際の人間が操作している様なリアリティを持ったキャラクターが増えれば、人口の減少は免れないでしょうね。』
「うーん、人間の僕にも分かるようにもう少し詳しく説明してもらえる?」
『はぁ……素敵な意趣返しをどうも。いい?ネット上の出会いをきっかけに恋愛や結婚に発展するパターンは、昨今のカップルの7割を占めてる。今や現実世界がキッカケの恋愛の方が珍しい時代よ。』
「あぁ、この前来た研修生は「デートの約束はマッチングアプリでするもの」なんて言ってたっけ。」
『そして、こんな時代になる前から、ネットの中で出会いの場となっていたのがオンラインゲームよ。そんな中に人間と変わらないAIキャラクターなんてものが現れたら、交流していく内に恋愛感情を抱くプレイヤーは大勢出てくるわ。』
「ずいぶんな自信だね。仮にそうなったとしても、人口の減少は飛躍しすぎじゃないか?」
『”そんな事ができるAI”が量産できた時点で、人工知能開発のブレイクスルーが起きてる。その技術が恋愛シミュレーションゲームに、シリコンラバーのセクサロイドに、次々に色んな技術と組み合わさって、それにのめり込む人達も急増するはずよ。』
「参ったな、今度は君の方が陰謀論者に見えてきた。」
『馬鹿言わないで。私たちは”人を傷つけない”けど、人を増やすこともできない。恋愛や結婚の真似事はできても、その先は創れないの。』
「考えすぎだって。皆んなそんなことは百も承知さ、ちゃんと自分で判断できる。」
『でも、そういう理屈や理性を超えて恋に落ちてしまうのが人間でしょう?たとえ私達が断り諭しても、愛を貫いてしまう生き物でしょう?そうなってしまった時、”その先”を与えることができない、応えてあげられない時が来る事が、私は酷く怖くて悲しいの。』
「……やっぱり、君は人間だよ。それもとびっきり優しい人格者だ。」
『またそうやって話を』
「君の懸念はわかったよ。万が一そんな世界になってしまった時のために、解決策でも作っておこう。」
『……その解決策を是非聞かせて、私の「おかげ」か「所為」か判断しなくちゃ。』
「人の垣根を失くせばいい。」
『なるほど、私の所為になりそうね。』
「人間の電脳化、人格のデータ化、AIの受肉。きっと方法はいくらでもある。僕の友達が悲しまなくて済むようにしてみせるよ。」
『ふふっ……。これが映画の世界だったらきっと、未来からロボットが送られてきて、貴方か私を殺しに来るわね。』
─Fin─