Moji茶屋
シキ折々
【大雪、春目掛け。】
(0:0:1)上演時間5分
【大雪、春目掛け。】
ガタリ、世界が揺れる。
ひるどきの車内の心地よさに
抗う気もなく目蓋を下ろす。
窓から差す陽の光と
足元のヒーター
滅多に開かないドア
沈み込む座席
ガタン、ゴトンと
小気味の良いリズムで揺れる体
大きく伸びをして
深く、座り直す。
鳥の巣みたいなマフラーに
鼻先まで埋めて
小さく息を吐いてから
束の間の幸福に微睡んだ
大型の案件を終えて
長めに取らされた冬休みに
数年ぶりの帰省を選んだのは
「結婚はまだか」の小言よりも
一人きりの部屋が嫌だったから
いつの間に季節は巡る速度を変えたのだろう
離れることを選んだあの日
振り返った先で顔を上げられずにいる貴方を見て
「良かった。」と、思った。
鼻声なのは花粉のせいだし
目が赤いのも同じ理由
だから、声だけは明るくないと
「ここまででいいよ、荷造り、手伝えなくてごめんね。」
人生で一番上手く嘘を吐けた
貴方は私の表情を見なかったから
いつも強がっていて良かった、決断が不自然に見えないから。
貴方が臆病者で良かった、決心が揺らがないから。
別れが春で良かった、上手く嘘が吐けたから。
でも。
最後に、一つ願掛け。
この噴水を通り越すまでに
もしも貴方が、引き止めてくれたら。
その時は、もう一度。
通り抜けるまであと一歩。
その時、凄く、強い風が吹いた。
公園中の木々を揺らして
ザァザァと、花が降った。
噴水を、通り越した。
数年ぶりの実家は、不思議な感覚だった。
上京した日から変わらない家の中だけど
新しい物がいくつか増えていた。
おばあちゃんが「この子よく食べるの」と
ロボット掃除機の前にパンくずを撒いていて
久しぶりに、大きく口を開けて笑った。
笑った拍子に、乾燥していた唇が裂けて
荷解きをしながらリップクリームを探す。
私の部屋は相変わらずで
昔好きだったバンドのポスターを眺めながら
目当てのものを探した。
帰省用の鞄に、いつものリップを移していなかったことに気づく。
この手の失敗は多すぎて、もはや自責の念もなく
またか……と諦めるように呟いた。
移し忘れあれば、戻し忘れありと。
スーツケースの中を探してみるが
そう都合よくはいかなかった。
落胆しながら閉めようとした時
内側の小さなポケットが目に留まる。
とはいえ使った覚えもないので、期待はせずに中を探った。
指先にコツンと、棒状の何かが当たり
思いがけない感触に期待が高まる
もしや自分でも覚えのないうちに仕舞い込んでいたのか。
握った大きさに確信を覚え
引き抜いた手を開く
リップクリームだ。
いつも化粧品売り場で買う
お気に入りのリップクリーム。
では、無く。
貴方が
いつも使っていた
メントールの
安物の
リップクリーム
小物をよく失くす私に
貴方が得意げに忍ばせた
冬の夜、寝る前にいつも塗っていて
おやすみのキスがスースーして嫌いだった
それでも私の唇が乾いていたら
お裾分け、と唇を擦り付けてくる
貴方の好きな
「好き……」
あぁ、言ってしまった。
「臆病者……大好き……」
「意気地なし……大好き……」
「優柔不断……大好き……」
あの春に終わった関係も、夏が死んだ時に仕舞った想いも。
タイミングが悪くて、鈍感で、濡れるのが嫌いだった貴方。
「大好き……大…好き…っ……」
なんてタイミングだろう。
数年ぶりの実家で、「結婚は」と突つかれる様な時に
見つけてしまうなんて。
でも、一人きりの部屋でじゃなくて良かったかもしれない。
泣き腫らした目で、お雑煮を啜りながら。
そう考えることにした。
帰る前日、腰を痛めた父の代わりに雪かきをした。
毎晩寝る前に、恨めしく塗っていたリップクリームを雪の下に埋めてやった。
これで、本当にさよなら。
『未練を受け入れた秋も』
「強がりが死んだ冬も」
『色々な死期を終えて』
「感動のフィナーレ」
『雪解けの水に』
「春が芽吹く」
【大雪、春目掛け。】
たいせつ
はるめが
つ
かお
まどろ
にほど
※二人で読む場合
『 』が春と秋
「 」が夏と冬
冬